今回はオルセー美術館について深堀りしてみましょう。
オルセー美術館は、印象派やポスト印象派など19世紀末パリの前衛芸術のコレクションが世界的に有名です。日本でよく知られている絵画も多数展示されています。アングルの『泉』、ミレーの『晩鐘』、『落ち穂拾い』、マネの『草上の昼食』、『オランピア』、ドガの『バレエのレッスン』、モネの『日傘の女』、『ルーアンの大聖堂』、ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』、セザンヌの『サント=ヴィクトワール山』、『カード遊びをする人々』、ゴッホの『自画像』、ゴーギャンの『白い馬』、スーラの『ポール・アン・ベッサンの外港』、アンリ・ルソーの『蛇使いの女』など、あまりに多すぎて、見たい絵を探すのに手間取ってしまいます。
また、アール・ヌーヴォーの工芸品やロダンの彫刻作品なども展示されています。
パリで美術館巡りをするのであれば、ルーヴル美術館とオルセー美術館は欠かせません。ただし、あまりに展示作品が多いので、最初は見たい作品を絞っていくことがお薦めです。欲張って「あれもこれも」と思って見ていると、後になって「何を見たんだっけ」ということになりかねません。
オルセー美術館には、かつてジュ・ド・ポームで展示されていた印象派の作品を中心に、2月革命のあった1848年から第一次世界大戦の終わる1918年までの作品を展示しています。それ以前のものはルーヴル美術館に、それ以後の作品はポンピドゥセンターに収蔵・展示されています。そのため、日本人の多くが好む印象派の作品を見るのであれば、このオルセー美術館が最もおすすめです。
モネの睡蓮で有名なオランジュリー美術館も2010年以降はオルセー美術館と一体となって運営されています。2021年以降は、オルセー美術館の発案者であるジスカール・デスタン大統領の名前をつけ、フランス語での正式名称はétablissement public du musée d'Orsay et du musée de l'Orangerie – Valéry Giscard d'Estaing「ヴァレリー・ジスカールデスタン オルセー美術館とオランジュリー美術館の公共施設」EPMOとなっています。
ルーヴル美術館は三脚、ストロボを使わなければカメラ撮影も可能ですが、オルセーでは作品をカメラで撮影することは禁止されています。ご注意ください。
ところで、オルセー美術館はもともと駅でした。そのため、駅につきものの大時計がオルセー美術館の象徴的存在となっています。ちょっと昔の、駅だった頃のオルセーをのぞいてみましょう。
建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルでした。オルセー駅は、オステルリッツ駅をパリ中心部へ延伸するために作られた駅でした。オルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルだったオステルリッツ駅を補完するためにパリ中心部にできた新駅でした。
ご存知だとは思いますが、パリには「パリ駅」はありません。現在、パリにある長距離列車の発着駅は「リヨン駅」「東駅」「北駅」「オステルリッツ駅」「サンラザール駅」「モンパルナス駅」です。「リヨン駅」はリヨンから南仏方面に向かう列車、「東駅」はフランス東部やドイツ方面への列車、「北駅」はロンドンに向かうユーロスターやフランス北部方面、ベルギーやオランダ方面など、「オステルリッツ駅」はフランス南西部方面、「サンラザール駅」はフランス北西部のノルマンディー方面、「モンパルナス駅」はフランス西部、南西部方面の列車が発着します。全て「ターミナル駅」で「通過駅」ではありません。それぞれの駅にはたくさんのプラットフォームがあり、多くの列車が発着しています。
ヨーロッパの鉄道は19世紀に発達します。しかし、その頃には都市はすでに成立していて中心部に駅を建設するだけの土地はありません。そのため、ヨーロッパの多くの都市では鉄道の駅は郊外に造られました。パリも中心から少し離れたところに駅が点在することになりました。
日本では各都市の主要な駅は都市の中心になっていますが、明治の時代、鉄道が敷設された頃の駅は中心から離れた周辺部にありました。最初に鉄道が開通した時の新橋駅、その後各地にできた駅、例えば上野駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅など、大都市の駅は市街地のはずれにありました。
「オルセー駅」はパリにある他の駅とは違ってパリ中心部に新しくできた駅で、1900年の万国博覧会に合わせて開業しました。セーヌ川に面したところにあり、万博会場へのアクセスのために作られた駅でした。しかし、オステルリッツ駅からオルセー駅までの間は地下を通るため、煙害を避けるため、電気機関車が使用されました。というわけで蒸気機関車の乗り入れがないパリ唯一の駅でした。しかし、オステルリッツ駅で蒸気機関車から電気機関車への付け替え作業が必要なこと、他の駅に比べ狭く、長い編成の列車が利用できないこともあり、1939年には近距離専用の駅になりました。
その後、駅舎はさまざまな用途に転用され、1962年にはオーソン・ウェールズの映画『審判』の撮影も行われたということです。駅舎は取り壊しも検討されましたが、1973年に駅舎が歴史的記念建造物の候補に挙げられ、美術館とすることが計画されました。1978年には建物が歴史的記念建造物に指定され、1986年に美術館として最出発することになりました。
駅そのものとしては、セーヌ川沿いの部分が、RER C線のミュゼ・ドルセー駅として使われています。
美術館は、駅の構造をそのまま生かす形で作られています。そのため、中央が吹き抜け構造になっています。西側の突き当たりには、終着駅だった面影を残す大時計が中央にあります。
MH