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ヴェルサイユ宮殿とお狩場

フランスの中世と言われる時代(9世紀~15世紀)が終わると絶対王政の時代が始まります。

その王たちとは、アンリ4世 (1553~1610)1589年ブルボン朝を創始  - ルイ13世(1601~1643) –  ルイ14世(1638~1715)- ルイ15世(1710~ 1774)- ルイ16世(1754~1792)と続き、ルイ16世の時代にフランス革命が起こり絶対王政の終焉を迎えたのです。

この五人のフランス王の共通点はヴェルサイユという場所と後のヴェルサイユ宮殿に関わったことです。

さて、今でも車や列車でヨーロッパを移動すると町を出て牧草地帯を通り森に入り、そしてまた牧草地帯に出て次の町に入る、という光景を何度も経験します。それだけヨーロッパは森林が多いということですが、特に中世まではもっと森林が広大でした。鬱蒼とした森に埋め尽くされ、わずかに耕地や村が点在したのです。その時代を描く書を読むと、森に棲むオオカミへの恐怖の話がたくさん出てきます。そして絶対王政の時代に入って、更に森は開墾されて行き耕地は増えましたが大半の森林はまだ残ったままだったのです。

その森の利用例として、王侯貴族による狩猟が挙げられます。狩猟とは本来、食料を確保したり、耕作地を荒らす動物を駆除したりするために行われるものです。しかし中世の盛期(11世紀~)以降、王侯貴族による狩猟は実用的な目的から離れ、遊びの要素が強くなっていきます。つまり、狩猟は貴族のたしなみと娯楽、社交や戦争の訓練、特権や高貴さを競う場としての役割を負うようになったのです。

狩猟に出かけたアンリ4世は、1604年1月15日のいつもの狩猟の時と同じように獲物を追っているうちにいつの間にかヴェルサイユまでやって来た、ことから「ヴェルサイユ」が始まります。

1607年8月24日、王太子だった将来のルイ13 世は、最初の狩猟のために父アンリ4世に初めてヴェルサイユに連れてこられています。そしてアンリ4世は1609年1月13日、サン=ジェルマン=アン=レーからパリへ向かう途中、ヴェルサイユにあるゴンディ家の館に滞在し、そこで夕食を摂ったという記録があります。ところがその後1617年以前にこの場所に来た記録は無いのですが、それはそもそも住んでいたサン=ジェルマン=アン=レーの城(パリの西25km)の周囲には広大な森があり狩猟のための獲物には事足りた場所でした。

ところでフランスの王はパリに住んでいたのだろうと思いがちですが決してそうではありません。古来その時の領地を回って税金を取り上げて歩く移動宮廷の記憶があり、その後パリに定住することは多くなったのですが、ロワール河周辺、サン=ジェルマン=アン=レー、ヴェルサイユ、サン・クルー、コンピエーニュなど大小の城を持ち移動宮廷はフランスの王の習性でもありました。

さてそのころのヴェルサイユ(サン=ジェルマン=アン=レーの南15km)は緑豊かな森林地帯で、狩り場としては “最高のスポット” でした。しかしもちろんまだ宮殿など影も形もありません。

子供のころから特に狩猟を好んだルイ13世は1623年末、狩猟用の館をヴェルサイユに造らせます。そして翌年からここに宿泊するようになり、更に1631 年からその館を拡大し、今日私たちが知っているヴェルサイユ宮殿の建物の基礎となります。

その子供のルイ14世は1641 年 10 月に初めてヴェルサイユにやって来ました。その時、彼の父ルイ 13 世は、サン・ジェルマン・アン・レー城で猛威を振るっていた天然痘の流行から逃れるためにヴェルサイユに送ったとあります。

そのルイ 14 世は、父親以上にヴェルサイユをとりわけ好み、父親をはるかに超えてそれを拡張することにしました。

狩猟小屋の地位から、庭園での素晴らしい娯楽を備えた娯楽邸宅の地位へと徐々に移行し、とりわけ 1682 年からは宮廷と政府の主要な邸宅となり、そこに貴族たちを住まわせ中央政府も設置しました。

こうしてヴェルサイユ宮殿は「お狩場」から始まり、その狩猟権が王や貴族など特権階級に限定され,煌びやかな 「国王の狩猟」を頂点に,狩猟が全盛期を迎えたといわれます。このようにアンリ4 世はもちろん狩猟家として知られ,ルイ13世は言うに及ばす、ルイ14 世が1 週間に2 度,ルイ15 世とルイ16 世が1 週間に3度の頻度で狩猟をおこなったと伝えられています。

一方、その当時「国王の狩猟」とはどういうものだったのでしょうか。それは猟犬狩り(vénerie)と鷹狩り(fauconnerie) が主流だったのです。宮廷では常時1,000 人を超える狩猟役人が設置され,「国王の狩猟」の実務を担っていました。

狩猟の対象となる動物については「その肉を食するにおいしい」動物とあり,雄鹿,雌鹿,小鹿,ノロシカ,ダ マシカ,猪が主とされています。また野兎,狐,狼,熊 などをも対象としていました。さらに鹿狩りについて「鹿は森に棲むもっとも高貴」で,美しく,不可思議な動物であり,狩猟 の方法に情熱,知性,技量の粋が求められる点で,国王に取っておきの狩猟とされました。換言すれば,鹿狩は知的で高尚な娯楽の極みだったのです。そのため,専ら鹿狩を念頭においた国王の狩場がつくられました。

「角笛と猟犬の狩猟」と言われるように、主に鹿狩に用いられる猟犬による狩りこそ,猟犬係と猟犬の群れの緊密な連携により成立する,近世フランス でもっとも発展をとげた狩猟形態でした。猟犬狩に用いられる猟犬には 3 種類があり、地面に這いつくばって,獲物の所在を嗅ぎつける 「追い出し犬」,逃げる獲物を追いかけ,追いつめる「追走犬」,獲物を待ちうけ,獲物に最後の攻撃をしかける「グレーハウンド犬=闘争犬」です。これらの猟犬 を巧みに組み合わせた猟犬狩は,まさしく合理的で機能的な技芸の結晶であったわけです。

ところでその当時猟犬狩と人気を二分していたのは鷹狩でした。ルイ 13 世は鷹狩の技能に並外れて優れていたとされます。タカ,ハヤブサ、イヌワシ,クマアカなどを馴養して(動物を飼いならして育てること,これらに鳥獣を捕捉させ,それを遣(つか)い手がとりあげるのです。今でも日本には鷹匠という人たちがいて鳥獣を補足する場面をTVで見ることがありますがそれと同じようなことが行われました。ところが、この時代からしばらくして鉄砲が普及し始め次第に鷹狩と言う狩猟法は衰えていきます。

さて、現代では狩猟したこうした野禽と野獣を「ジビエ」と言う言葉に置き換えて秋の食材として使われるようになって久しいのですが、フランスでは人口約6000万に対して160万人の狩猟人口がいると言われています。季節になると(秋から冬)楽しみにしている食通たちのためにレストランのメニューにジビエが登場し根強い人気です。

今年の日本の夏は暑く雨が良く降りました。でもいよいよ秋の到来です。「ジビエ」を美味しく食べられる季節になります。

 

GK

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