ノートルダムとヴィオレ・ル・デュック
現在修復作業中のノートルダム大聖堂は、今までに何度か修復作業が行われてきました。今回は、その中から、19世紀に行われた、ヴィオレ・ル・デュックの修復について見てみましょう。
ノートルダム大聖堂の歴史を少し
パリのノートルダムの建設に取り掛かったのは1163年、本体は1225年に完成します。正面の2つの塔は1250年に完成します。最終的な竣工は14世紀中頃になります。教会建築の様式で見るとゴチックの初期から後期ゴチックのレヨナン様式になります。
フランス革命で、フランス国内の至る所で教会は壊されます。ノートルダムも襲撃を受け、歴代の王の彫像が破壊され、埋められました。今でも田舎の教会の中には、革命の時にタンパンの像が破壊され、そのまま修復されないままになっているところがあります。
ノートルダムは1845年から1867年にかけて大規模な修復が行われました。この時期はイギリスで18世紀末に始まったゴシック・リヴァイヴァル期にあたります。この時に修復に携わった人物が、建築家のヴィオレ・ル・デュク(1814−1879)です。
彼は、改修にあたって1330年のノートルダム大聖堂を想定し、その完全なる復元をしようと努めました。当時は修復に際して元の状態に復元するというやり方は一般的ではありませんでした。失った装飾も、同じ時期に建築され、破壊されていなかったアミアンやシャルトルやランスの大聖堂の装飾を手がかりにして復元されています。
大規模な修復の一つが、大聖堂の交差部にあった尖塔の復元です。この尖塔は落雷でたびたび炎上し、倒壊の危険があるため1792年に一時撤去されましたが、ヴィオレ・ル・デュクらが修復に乗り出しました。この復元案は、全体の高さを以前よりも約10m高く設定し、デザインもより豊かなものになりました。さらに、最も大きな変更として、尖塔基部を囲んで福音史家と十二使徒の彫刻が付加されました。ヴィオレ・ル・デュクは聖トマ像のモデルとなり、自らデザインした尖塔を見上げるポーズを取っているそうです。
2019年4月、大規模な火災によって尖塔と屋根の部分が焼け落ちてしまいました。修復がどのようにされるかはまだ明確に定まってはいませんが、元の状態に戻す可能性が高いようです。
ヴィオレ・ル・デュクはノートルダムの改修工事のほか、さまざまな歴史的建造物の修復に携わっています。代表的なものとしてモン・サン・ミシェルやカルカッソンヌがあります。
MH