ドイツ・バイエルン地方にあるノイシュバンシュタイン城は、フランス・ピカルディー地方にある ピエールフォン城 のレプリカである。というところから話を始めます。
1867年の第二回パリ万国博覧会の時のことです。
「偽名を使い、お忍びで博覧会を熱心に見学して歩いた某国の君主がいた。ヨーロッパ一の変人君主として知られたバイエルン国王ルートヴィッヒ二世である。王はパリの周辺のヴェルサイユ宮殿や、ヴィオレ=ル=デュクが修復していたピエールフォンの城にも立ち寄った。王は、博覧会場のパヴィリオンがすべて取り壊されることを知ると、イスラム式パヴィリオンを丸ごと一つ買い取り、それを解体させてバイエルンのリンダーホフの城に再現させた。さらに庭園に、万博の水族館のイメージで「タンホイザー」のグロッタを造らせた。ノイシュバンシュタイン場がピエールフォン城のレプリカであることは言うまでもない。」 講談社学術文庫 鹿島茂著「パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢」からの一部省略引用。
ノイシュバンシュタイン城はどこかピエールフォン城に似ている、と私もかねがねそう思っていたので、鹿島茂氏のこの本を読んで、はたと膝を打ったのです。更に件のリンダーホフ城は、ヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿を手本にして建てられたとされてもいるところからも尚更です。
ところで私は日本人には余り知られていないマイナーとも言える城であるこのピエールフォン城に行ったことがあります。パリ・北駅を出てコンピエーニュまでTERに乗って40分。コンピエーニュからピエールフォン城まではバスに乗り換えます。フランスの国土面積は日本の1.5倍、人口は日本の二分の一だから田舎の方へ行けば行くほど閑散としていて人も歩いていない。したがって公共交通機関が日本ほど発達していないでの移動はなかなか困難ではあるけれど、パリ滞在中に近郊の街歩きのつもりで出かけてみるのも実に楽しいものです。
シャトー・ド・ピエールフォンはピエールフォン村を見下ろすようにそびえ立つ城塞で、フランスでもっとも大きな城塞であり、防衛のための建築物として建てられたものです。
シャトー・ド・ピエールフォンの基礎が建てられたのは12世紀ですが、1392年にフランス王シャルル6世によってヴァロワ家所領とされ、王弟ヴァロワ=オルレアン公、ルイ・ドルレアンがパリ北方の防衛のために修復建設しました。コンピエーニュの森の端という立地は、オルレアン家にとっては宿敵ブルゴーニュ公の領土、フランドルとブルゴーニュの監視に最適だったのです。そして続くフランス王国とイングランド王国のいわゆる百年戦争の中で、1407年にイングランド軍よって焼失の危機に遭い、1617年3月には城はリシュリューに派遣された軍により破壊されたが、城の規模が大きかったため全部は破壊されずに残り、その後廃墟の城となったが、1810年にナポレオン・ボナパルトのものとなり、そして1857年にナポレオン3世が、当時有名な修復建築家としてフランスの重要な文化財修復の実務を手がけた ヴィオレ=ル=デュク(1814-1879)に修復を依頼し、1862年以降、城は歴史的記念物として保護されていることになりました。
ここで城内の数々の美術品、記念物、彫像などなどのことを書き始めると尽きることがありませんのでご興味のある方はこのシャトーのHPをご覧ください。一方、ピエールフォン城は訪れる人々を夢の世界へと誘うことができる場所と言えると思います。子どもには随所に城塞での暮らしへと想像力を掻き立たせ、大人にはフランス史の象徴的なモニュメントである建築と、その修復という偉業を発見することができるのです。それは20年にわたって取り組んだヴィオレ=ル=デュクによる修復の力のなせる業なのでしょう。ロワール河にある数々の城とは一味違うのです。
ところで、ディズニーランドのシンデレラ城についてですが、ネット上ではこの城とこの城とこの城・・・からインスピレーションを得て造られた、と書いているサイトを見かけますが、大方ノイシュバンシュタイン城からヒントを得た、との意見が大半です。確かに形も似ている。
しかしノイシュバンシュタイン城はピエールフォン城からヒントを得たわけだから、私はここで声を大にして言いたいのです。シンデレラ城の元はと言えばピエールフォン城なのだ、と。
<パリ・ミュージアム・パスでピエールフォン城の入場ができます>
GK