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深堀ヴェルサイユ(その1)

ヴェルサイユ宮殿の歴史(その1)

ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が17世紀に建造したフランス絶対王政の象徴的建造物です。ただ、今の姿になったのは18世紀中頃になってからのことでした。写真は1668年に当時の姿を画家が絵画にしたものです。この時代にはまだ城内に礼拝堂もオペラ劇場もありません。

今回は ヴェルサイユ宮殿の歴史を紐解いてみましょう。

ルイ13世がまだ王太子だった頃の1607年、ルイはこの地が好きだった父アンリ4世に連れられて初めてヴェルサイユを訪れます。しかし、その後、次に訪れたのは1621年、好きだった狩猟をするのに最適の場所でした。その後、宿泊のできる小さな家を手に入れます。そこは沼地で囲まれた小高い丘にありました。その後新しく建物を建て、今のヴェルサイユ宮殿の原型となるものができます。

1630年、母后マリー・ド・メディチは、敵対する宰相リシュリューの罷免を国王に求めますが、国王は母后を退け、リシュリューを選択することを決断します。この決断は、フランスのその後を方向付けたともいえる決断でした。

ルイ13世は1632年に近辺の土地を新たに手に入れます。リシュリューがなくなった翌年の1643年、ルイ13世は亡くなります。

ルイ14世はまだ4歳、母親のアンヌ・ドートリッシュは摂政政治を始めますが、枢機卿マザランを宰相としてフランスを治めることになります。しかし、世の中は不安定で、「フロンドの乱」と呼ばれる出来事もありました。パリのルーヴル宮殿も度々襲撃され、幼いルイ14世は母后と逃げ惑うこともしばしばあり、それがのちにヴェルサイユに宮廷を移す大きなきっかけになったと言われています。

しかし、1660年に至るまで、ルイ14世はほとんどヴェルサイユに足を踏み入れることはありませんでした。しかし、マリー・テレーズ・ドートリッシュとの結婚後、ヴェルサイユで狩の祝宴を開き、それ以降、ヴェルサイユを新たな拠点とし、宮殿を新たな姿にすることに取り掛かります。

1660年以降のヴェルサイユについては次の回でお話ししましょう。

ところでヴェルサイユのことをフランス人はChâteau de Versaillesといいます。「ヴェルサイユ城」です。宮殿に対応するフランス語はpalaisです。ルーヴルはPalais de Louvreです。

フランス語でPalaisとChâteauの違いは何かというと、Palaisは国王や大貴族の広大な住居、châteauは、元々は戦争の時に使われる城砦の意味を持っていましたが、16世紀以降は、庭や農園のある広大な貴族や王族の館という意味になりました。ですから、ロワール川にある貴族の館は国王の持ち物であってもchâteauということになります。ヴェルサイユもchâteauになります。またアヴィニョンにある法王庁はPalais des Papesとなります。ただ、英語ではヴェルサイユもPalace of Versaillesとなります。

 

MH

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