深堀り オルセー美術館 2

チューブ絵の具と印象派

絵画の歴史と絵の具の歴史は切っても切れない関係にあります。

フェルメールの青とラピスラズリはよく知られています。かつて、絵の具は工房で画家や画家の弟子が土や鉱物を採取し、混ぜ合わせて作っていました。

フェルメールは貴重なラピスラズリの鉱石を砕いて調合し、あの青の色を出していました。18世紀になると産業革命で化学工業が発達します。その過程で合成顔料も作られるようになりました。

1826年、ついにフランスの工業化学者ジャン・バティスト・ギメ(Jean-Baptiste Guimet)がウルトラマリンの製造法を見つけます。ウルトラマリンはラピスラズリの青色の主成分です。

このようにして19世紀には合成顔料を使った絵の具が大量に世の中に出るようになりました。

ところで、ここで名前の出てきたジャン・バティスト・ギメの息子は、のちにギメ東洋美術館を作ったエミール・エチエンヌ・ギメ (Émile-Étienne Guimet)です。

さて、絵の具の発達に欠かせないもう一つのものはチューブです。フェルメーヌの時代から絵の具を豚の腸に詰めて保存することがあったようです。ただ、これは持ち運びできるものではありません。工房の中での保存です。

その後、ガラス製のものなどが考案されますが決定的なものではありませんでした。そしてついに金属製のチューブが1841年にイギリスで発明されました。これを使えば、絵の具をアトリエから外に持ち出すことができます。

かつて、絵を描くときには工房で作業する必要があり、そのため、自然の景色を描こうとした場合、一度、デッサンをしたものをあらためて工房で再現するという工程が必要でした。景色の写生ということは実際は不可能でした。しかし、絵の具を持ち運べるようになると、イーゼルにキャンバスをのせ、実際の景色を見ながら描くという行為が簡単にできるようになったのです。これは絵画の技法に関しての大きな転換点となりました。

印象派の画家たちはチューブ絵の具を使って光をキャンバスの上に描き出したのです。

印象派の代表的な画家ルノワールは映画監督の息子に「チューブ絵の具がなかったら印象派は生まれていなかった」とまで言っていたそうです(Jean Renoir, Pierre-Auguste Renoir, My Father, 1962)。

チューブ入りの絵の具は印象派の画家にとって不可欠なものだったのですね。

(写真はオルセー美術館の大時計)

MH

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