ルーブル美術館と「三銃士」のダルタニアン

写真は1630年のパリの地図からルーヴルのあたりを切り取ったものです。ルーヴルは今ではパリの中心ですが、この時代はパリの西の外れに位置します。

手前にある庭園がチュイルリー庭園です。その上に描かれた建物は、19世紀に消失してしまったチュイルリー宮殿です。チュイルリー宮殿はカトリーヌ・ド・メディシスが16世紀に造らせた建物です。残念ながら彼女はここに住むことはありませんでしたが、のちの国王は好んでここに住みました。

セーヌ川に沿ってある建物がグランドギャラリーです。これは、二つの宮殿を結ぶ渡り廊下としてアンリ4世が造らせました。

現在、リシュリュー翼とされている建物はまだありません。

グランドギャラリーの中央から左に向かって立っているのは昔の城壁で、左端にサントノレ門が見えます。門から下に下がっている広い通りがフォーブル・サントノレ通りです。「フォーブル」はFaubourgという綴りになりますが、最初のFau-は現在のフランス語のHors-と同じ意味の接頭辞です。ということで、フォーブルは「城壁で囲まれた街の外」ということになります。

この地図から想像できるように、17世紀、ルイ13世の治世の時代のルーヴルは、今とは全く違った姿を見せていました。ちなみにこの時代は日本の徳川時代の始まりの頃です。

アレクサンドル・デュマの書いたあの有名な『三銃士』というお話は、ルイ13世の時代が舞台となっています。小説を読まれた方なら、ダルタニアンと三銃士の他に、リシュリュー枢機卿とかアンヌ王妃、ルイ13世という名前をご記憶の方もいると思います。『三銃士』はまさにこの地図に描かれたパリでのお話です。ルーヴル宮殿にはアンヌ王妃も住んでいました。ダルタニアンは彼女の手紙を携えてロンドンまで行くことになるのですから、当然、このルーヴル宮殿を描いた場面もありました。

さて、ルーヴル宮殿はどこにあるのかというと写真の一番上にある建物ということになります。今のルーヴル美術館の建物からすると信じられないくらい小さかったのですね。中世の時代に作られた塔は1528年に取り壊されました。1630年の時代でも、まだ昔のルーヴルは残っていて、今のルーヴルとはまだ違う姿を見せていました。

400メートルを超えるグランドギャラリーに沿ってはいくつかの部屋があり、アンリ4世はそこに当時の芸術家を集めて創作活動にあたらせたと言います。これがのちの美術館に発展する基礎となります。

ルイ13世の後、ルイ14世がルーヴルに住むことになりますが、幼少期のルイにとって、ルーヴルはフロンドの乱の時の忌まわしい思い出がある場所でした。そのため、彼はチュイルリーやヴァンセンヌ、フォンテヌブロー、サン・ジェルマンなどを住まいとし、最終的に1678年にはルーヴルを離れヴェルサイユに宮廷を移してしまいました。

 

 

MH

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