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深堀ヴェルサイユ(その2)

ヴェルサイユはフランス人はChâteau de Versaillesといいます。「ヴェルサイユ城」です。

宮殿に対応するフランス語はpalaisです。ルーヴルはPalais de Louvreです。フランス語でPalaisとChâteauの違いは何かというと、Palaisは国王や大貴族の広大な住居、châteauは、16世紀以降は、庭や農園のある広大な貴族や王族の館という意味になりました。ですから、ロワール川にある貴族の館は国王の持ち物であってもchâteauxということになります。ヴェルサイユもchâteauになります。またアヴィニョンにある法王庁はPalais des Papesとなります。ただ、英語ではヴェルサイユもPalace of Versaillesとなります。

新しいヴェルサイユの開城に合わせるように1662年5月7日から数日間、『魔法の島の喜び』というタイトルで祝典が開かれました。これは大スペクタクルと言ってもいいもので、ヴェルサイユに一種のテーマパークが造られたようなものです。物語は、イタリアの空想小説、アリオストの『狂えるオルランド』を元に、自由に改変したものです。オルランドとはイスラム教徒と戦った『ロランの歌』に出てくる英雄ロランのことです。

当時の一流の芸術家がヴェルサイユに集い、モリエールとその劇団員はさまざまな役を演じました。2日目にはバレエとコメディーで構成された『エリード姫』が上演されました。リュリは音楽を担当しました。3日目はバレエに当てられました。ルイ14世はバレエで踊るのが大好きな国王でした。その後もいろいろな催しがあり、11日にはモリエールの『うるさ方』が、そして12日には『タルテュフ』の初演が、13日にはバレエとコメディーで構成された『強制結婚』が上演され、この祝典は幕を閉じます。舞台は仮設で、花火も打ち上げられる盛大な祝典であったことが記録されています。

その後、1667年からる・ノートルによる造園が始まり、1675年からセーヌ川にダムを築いて庭園に導水を図り、噴水を設置します。

1678年には、庭園を望むテラスだったところに屋根を設置し、あの有名な「鏡の間」を造ります。

1680年代になるとルイ14世はスキャロンの妻であったキリスト教に敬虔な女性と秘密裏に結婚し、その影響からか、1699年から礼拝堂の建設を始め1710年に完成します。

ルイ14世が亡くなった後も改築は進められ、1770年にオペラ劇場が完成します。また、1768年にはルイ15世がプチ・トリアノンを建設します。この地に、その後ルイ16世のお妃であったマリー・アントワネットがイギリス風庭園をつくり、ほぼ今の姿になっていきました。

MH

 

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