ルイ14世(在位:1643年 – 1715年)の時代に蒸気機関やモーターなど無いのにどうして噴水が!!
ヴェルサイユ宮殿の庭園には噴水がたくさんあります。また大運河もあります。噴水や泉は全体で1400にも上るとのことです。昔はもっとたくさんあったそうです。ルイ14世はことのほか噴水にこだわりがあったようです。
しかし、ヴェルサイユの近くに大きな川はありません。ヴェルサイユ宮殿の水瓶はどこにあるのでしょうか。
ヴェルサイユ宮殿のある土地はもともとが狩猟に適した土地でした。また、沼地状だったところです。沼地だったにも関わらず、ルイ14世が望む大きな庭園、噴水や泉に水を供給するだけの大量の水を供給するには適してはいませんでした。しかし、ヴェルサイユは丘の上にあり、水が簡単には手に入りません。そこで、外部から水を引くことを考える必要がありました。ヴェルサイユ宮殿の庭園に水を引くためには壮大な工事と膨大な資金が必要でした。これには宮殿の造営費よりもかなり巨額な費用が必要でした。
最初は庭園のそばのクラニー湖から馬を使った(馬をぐるぐる歩かせて)ポンプで宮殿北にある貯水槽に水が送られました。この貯水槽は100立方メートルありました。1663年には2頭の馬によるポンプが増設されました。その後3台の風車がクラニー湖から貯水槽に水を揚水し、当時あった12の泉に水を供給することができました。1667年には貯水槽は3ヶ所となり、貯水量は5000立方メートルにまで増えました。
しかし、宮殿と庭園の拡大に伴ってこの量では足りなくなります。そこで、宮殿の南の方にあるセーヌ川の支流のビエーヴル川から水を取ることにしました。そのために風車を使い、水路が低地を越える時にはサイフォンの原理を使うことで、ヴェルサイユまで水を運びます。しかし、圧力不足でサイフォンはうまく機能せず、水道橋が作られます。1675年にはビエーヴル川にダムを設置し、人造湖を作ります。これである程度の水量が確保できるようになり、クラニー湖からの揚水は廃止されます。
しかし、これでも庭園の泉や噴水に水を供給するには十分ではありませんでした。滝を模したものや、複雑な軌跡を描き出す噴水など、かつては今の4倍以上、ノズルは2000個あったということです。
安定した水量を確保するためには別な水源が必要となります。
ヴェルサイユから北に10キロほど離れたところにセーヌ川が流れています。しかしヴェルサイユ宮殿のあるところは標高が130mくらいあります。セーヌ川が流れているところは標高が23mです。そこからどうやってヴェルサイユまで水を引くか、大問題が発生します。
そこで、リエージュからアルノー・ド・ヴィルとレヌカン・スアレムが率いる職人軍団を招聘し、揚水機を導入することになりました。
セーヌ川左岸のブージヴァルに閘門を作って水を堰き止め、そこから、直径11.69 mの水車14輪と200のポンプ群で、高さ154 mのマルリーの丘まで水を汲み上げ、そこから8キロの水道橋によってヴェルサイユ宮殿まで水を引くことになりました。工事は1680年に着工し、揚水機は1684年に、1688年には水道橋を含む全体が完成しました。巨大で複雑な機構を持つ木造構築物として「世界の驚異」とも称されましたが、あまりにも構造が複雑で、しかも耐久性が乏しく、維持管理にも多大な手間と費用が掛かったため、1713年には見捨てられたと言います。そして、1817年には解体されてしまいました。そのため、現在では図版で確認するしかありません。途中の水道橋は一部が残されているということです。
さらに、ヴェルサイユの南にありヴェルサイユより高いところにある複数の池を水路で結び(Canal du Roiと呼ばれたそうです)水を確保する方法も取られました。
現在、ヴェルサイユの庭園の水は、ヴェルサイユの内部で循環するようになっています。噴水で使用された水は大運河に流れ込み、その水を電動ポンプで貯水槽に揚水し、噴水などに使用しているということです。当然のことですが、庭園の地下にはたくさんの泉や噴水に水を供給するための水路がはりめぐらされています。総延長は45kmに達するそうです。
水の確保にこんなに苦労したヴェルサイユ、発端は、ルイ14世が宮殿建設にあたってお手本にしたフーケのヴォー・ル・ヴィコントの城館の噴水を越えたいという欲望だったと言われています。
MH
(写真 National Geographic から)