ルーヴル美術館は昔のルーヴル宮殿を美術館として利用していることはご存知だと思います。ところがルーヴル宮殿は宮殿になる前の時代、ルーヴルは城砦 château fort でした。その痕跡を今でもルーヴル美術館の中で見ることができます。
ルーヴルの歴史を簡単に見てみましょう。
1200年、フィリップ・オーギュストは、パリの最も弱点であったセーヌ川から侵略してくる敵の攻撃を防御するために城砦を建てました。今のシュリー翼の東南の一角です。それがルーヴルの出発点です。現在は地下の遺跡で塔の土台しか見ることができませんが、その城砦の姿はパリ近郊のヴァンセンヌ城を見学するとある程度想像できます。
その後パリには街を取り囲むように壁が造られ、ルーヴルが元々持っていた要塞としての機能が不要になりました。そこでルーヴルは城砦から宮殿へと作り替えられることになります。
フランソワ1世は1546年にルーヴルをルネサンス様式の壮麗な建物への改築することを決定しました。このフランソワ1世は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招き、アンボワーズ城近くに住まわせました。この時の縁で、あの有名な「モナ・リザ」はルーヴル美術館の所蔵物になりました。
その後、カトリーヌ・ド・メディシスがルーヴル宮殿の西約500メートルのところに新たな宮殿を作らせました。それがテュイルリー宮殿です。
アンリ4世はルーヴル宮殿とテュイルリー宮殿を結ぶ長大な回廊 Grande Galerie を建設させました。その完成には時間がかかりました。
1630年のパリの地図を見ると、ルーヴルの姿は今とはかなり違っています。リシュリュー翼はまだ存在していません。
その後、ルイ14世は、自らの宮殿をルーヴルからヴェルサイユに移してしまいます。その結果、ルーヴル宮殿は宮殿としての使命を失い、1776年には宮殿を美術館へと転用する案が提案されました。しかし、この提案が実現するのはフランス革命後になってからでした。
テュイルリー宮殿は1871年、パリ・コミューンの時に焼失し、庭園のみが残されています。
1874年には現在のルーヴルの姿になりました。
1983年、当時の大統領ミッテランの命で「パリ大改造計画」が始まり、その一環として「大ルーヴル計画」で建物は改築されました。現在のルーヴルの入り口「ガラスのピラミッド」もこの過程で建設されたものです。
この大改造で、入館者にとってはありがたいことに、それ以前は少なかったトイレが増設されています。
また、工事の一環として、城砦として建設された昔のルーヴルが発掘されました。その時の遺構と発掘されたものの一部が現在、シュリー翼の地下で見られます。
MH