絵を画集で見てから実際の絵を見ると実物の大きさに驚くことがあります。ルーヴル美術館ではダヴィッドの『ナポレオンの戴冠式』の大きさには圧倒されます。この絵は縦6.21m、横9.79mあります。同じ部屋にあるヴェロネーゼの『カナの饗宴』はさらに大きく縦6.62m、横9.9mです。
ドラクロワの有名な『民衆を導く自由の女神』も縦2.6m、横3.25mです。
ところが、ルーヴルにあるオランダの画家フェルメールの『レースを編む少女』は横20.5cm、縦23.9cmです。A4のコピー紙よりも小さい大きさです。『天文学者』は縦50cm、横45cmです。『レースを編む少女』の絵は、とりわけ小さい絵といえます。絵の大きさを示す単位は、大きな絵はm単位で示せますが、小さな絵になるとcmにしたほうが分かりやすくなります。
ルーヴル所蔵のもの以外でも『真珠の首飾りの少女』は縦44.5cm、横39cm、『牛乳を注ぐ女』は縦45.5cm、横41cm、『デルフトの風景』は縦96.5cm、横115.7cmです。
ちなみにルーヴルにある絵の中からいくつか見てみましょう。
ダ・ヴィンチの『モナリザ』は縦77センチ、横53センチです。
ラファエロの『聖母子像』は縦122センチ、横80センチです。『バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像』は縦82センチ、横67センチです。
ダ・ヴィンチの代表作、『最後の晩餐』は縦4.6m、横8.8mのフレスコ画です。ルーヴル美術館ではなく、ミラノのサンタ・マリア・デ・グラッチェ教会にあります。フレスコ画ですから絵の描かれた場所から移動させることはできません。この絵は、教会で信者たちに、絵で聖書の内容を伝えるためのものでした。そのため、多くの人が見る必要があります。
ダヴィッドの描く『ナポレオンの戴冠式』もナポレオンの偉大さをたくさんの人に見せるために大きく描かれる必要がありました。
ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』も1830年の7月革命に合わせて描かれたもので多くの人が見ることが予想されています。
フェルメールの絵はどうでしょうか。題材から感じられることは、聖書の内容や歴史的な事件ではなく、一市民の日常的な生活の中から切り取られた空間です。描かれる対象も一市民と言ってもいいでしょう。また、展示する空間も一般の家庭の中と考えられます。大きな絵は必要ありません。というより、大きな絵は飾れません。
では、なぜ、このような絵が描かれるようになったのでしょうか。
少し絵画の歴史を見てみましょう。
絵画は、古代ギリシャ、古代ローマの時代から存在していますが、昔の絵画は歴史の流れとともにそのほとんどを見ることができなくなっています。今見ることができるものは壁画など一部のものに過ぎません。
西洋中世の絵画はその多くが教会にあります。そのため、宗教画が多くなります。神話の人物を扱ったものもあります。
絵画を描く時に使う絵の具は非常に高価で、また、制作には工房が必要となります。潤沢に資金のある教会とか王族や大貴族以外に絵画を手にいれることはできませんでした。
ルネサンスの時代を迎え、大航海貿易が盛んになってきます。この時代になると一部の商人たちが急速に資力を蓄えるようになります。この時代に急速に力をつけてきた国がオランダです。
オランダは、江戸時代の日本との貿易からも想像されるように、自由貿易で裕福になった国家です。もともとは神聖ローマ帝国に属していてスペインのハプスブルグ家の領地でした。宗教戦争もあり、現在のオランダの地域に住む新教徒たちが勢力を強めてきます。そして1568年にオランダ独立戦争が起こり、1648年にハプスブルグ家から独立します。南部の旧教徒の多い地域はスペインのハプスブルグ家の領地のまま残り、19世紀になって独立しベルギー王国となります。
オランダは、独立したことによって一般市民が力を持つようになります。オランダでは、絵画も王族や貴族を対象とするのではなく、一般市民を対象として制作されるように変化します。題材も宗教的なものから集団肖像画のようなものへと変化していきます。市役所に飾ったり、職業組合(ギルド)に飾られるための大きな絵もありますが、個人の家に飾ることのできる大きさの絵が好まれるようになります。
この時代にはそのため、一般市民の社会を描く絵が大量に描かれました。しかし、芸術としての評価は、絵画のヒエラルキーから言えばそれほど高くなく、その膨大な量の絵画はあまり残っていません。フェルメールの絵が評価されるようになるのも19世紀以降のことになります。
MH