マレ地区は17世紀に建てられた館が多く集中しているところで、その中心は「ヴォージュ広場」(かつては「王の広場」と呼ばれていました)です。この広場には17世紀前半のフランス国王ルイ13世の騎馬像があります。
17世紀前半のパリの中心地はこのマレ地区で、この時代の文化の発信地でした。フランスを代表する演劇作品コルネイユの『ル・シッド』が1636年に初演されたのはこの地区にあった劇場Théâtre du Mariasでした。また、17世紀のサロン文化の中心地もこのマレ地区でした。
マレ地区の入り口にはシュリーの館 Hôtel de Sully があり、そこは歴史建造物センターともなっていてフランスの歴史的文化遺産の管理の拠点となっています。
この地区ではカルナヴァレ館(パリ市の歴史博物館)Musée Carnavaret もおすすめの場所です。残念ながらパリ市の管理する博物館なので、ミュージアム・パスでは入れませんが、17世紀から18世紀にかけての展示物がたくさんあります。また、当時の街の姿を再現したジオラマも楽しめます。
マレ地区の一角に塩の館 Hôtel Salé と呼ばれる建物があります。もともとは塩税徴収官の邸宅だったことからこの呼び名がついています。この建物は1964年にパリ市に買収され、1985年以降、「ピカソ美術館」になりました。ピカソの作品だけでなく、ピカソの収集したブラック、セザンヌ、ドガ、マティスなどの作品も収蔵されています。また、庭園にはピカソのの制作した彫刻も展示されています。
17世紀の貴族のお屋敷は通りから見ると石造りの建物ですが、広い中庭があります。建物は入り口を入るとまず中庭に出ます。そこから目指す建物の入り口にたどり着くことになります。
貴族の移動手段は馬車が中心でした。馬に乗ったまま建物の大きな扉(門)をくぐり、中庭で馬車から降ります。そんなわけで道路に面したところに馬車を停めて乗り降りするということはありませんでした。
この時代、道路の衛生環境はかなりひどく、そのため貴族の女性はスカートが地面につかないように底の厚い靴を履いていました。また、移動で馬車を使わないときは、籠(と言っても日本の江戸時代の籠とは違って、前後の二人が腰の高さでお神輿のように担ぐタイプでした。)を使っていました。
マレ地区には17世紀を代表する建物がたくさんあります。それぞれの建物は「オテル・ド・〜」と呼ばれています。しかし、いわゆる「ホテル」ではありません。この時代の Hôtel「オテル」は大きな建物のことを指していて、例えば「街のホテル」Hôtel de Ville といえば「市役所」です。また「神様のホテル」Hôtel Dieuといえば「病院」でした。
MH
画像:ピカソの娘、マヤ・ルイズ・ピカソの作品