セーヌ河はブルゴーニュ地方、ディジョンの北西30kmの海抜471mの地点に源を発し、北西に向かい、パリの街の中を流れ、ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ河で、パリへ行った人はセーヌ河を見てこの河もきっと海へ流れていくのだろうな、と思うくらいですが、このセーヌ河の下流部、特にパリを出た辺りからは大きく蛇行した流れが特徴で、その後何度もそれを繰り返し、ジヴェルニー、ヴェルノンの付近はしばらく緩やかになり、ルーアンの近辺で再び蛇行が始まるのです。
これを地形学では「穿入蛇行」と言いますが、そもそも日本のように山から一気に下りてくる川ではなくて、平坦な場所、せいぜい丘や小山の間を流れると、より流れ易いところを選んで川は流れて蛇行して行きます。
掲載の地図(Wikipediaから)を見るとそれがよくわかります。
さて、セーヌ河に面したエッフェル塔のあたりですでに始まっているのですが、セーヌ河はパリの街の西側を下降し南に向かい、パリのはずれ、陶器で有名なセーブルあたりから北上を始め、そしてサンドニの西から再度下降します。その辺りから河辺にアルジャントゥイユ、シャトゥー、ブージヴァル、と言う名の印象派ゆかりの街(当時は村)が続くのですがそれらはセーヌ河流域に集中しているのです。
「光と水と大気を表現しようとした印象派はセーヌ河を必要とした」と言われます。
そもそも「印象派」という名称の起源になったモネの「印象・日の出」はセーヌ河口にある町ル・アーブルの朝の風景でした。
一方、セーヌ河はパリに入る前や後には様々な川が注ぎ込みます。ロワン川はシスレー、オワーズ川流域のポントワーズはピサロ、オヴェール・シュル・オワーズはゴッホが描き一時的にも暮らした村です。そしてモネはジヴェルニーの庭にエプト川から水を引いて小川と池を作りました。
中でもアルジャントゥイユは印象派の聖地で、ルノワール、シスレー、カイユボットがここを描きました。アルジャントゥイユを地図で見てみると、川幅が広くまっすぐに伸びて中州がなかったことからそこでヨットやレガッタのレースができたので、彼らの絵にはしばしばヨットが描かれているのです。
ところで印象派の絵がとても好きだ、と言う人には一度「印象派の散歩道」を歩くことをお勧めします。サン・ジェルマン・アン・レイ行きのRER(パリと郊外を結ぶ高速鉄道)に乗ってシャトゥー・クロワシー駅で降ります。
https://www.destination-yvelines.fr/
に地図が記載されていて散歩道が出ています。散歩途中には印象派の画家たちの複製画が所々に立てられています。例えばルノワールとシャトゥーの村とは関係が深く、ルノワールの言葉の中に「私はフルネーズ(レストラン)に入り浸っていた。絵になるようなすばらしい娘たちがいっぱいいた」とあります。「舟遊びをする人々の昼食」や「シャトゥーの鉄道橋」という作品です。
そして少し南に足を向ければブージヴァル村です。ミレー、コロー、ターナーといった画家たちに愛された。モネもこの村にやって来てアトリエを構えたことから「ブージヴァル橋」と言う作品があります。
1870年、フランスはプロイセンとの戦争で完膚無きまでに負けてしまいました。その時のフランス人の深い喪失感、国力が衰え国土は荒廃したのですが、しかし敗戦の痛手から急速に立ち直ろうとしていました。 この時期の印象派の絵が明るいのは、そうした国家再生への希望が少しばかり見えていたからではないかと言われています。
セーヌ下流の町、ルーアンを離れると再びセーヌの蛇行が始まりますが、ルーアンから河口に向かって20km、LA Bouille ラ・ブイーユは崖の麓に建ち、セーヌ河の蛇行に囲まれたこの村は、ターナー、シスレー、ゴーギャンなどの印象派の画家に影響を与えました。
このようにパリからセーヌ河口まで、印象派の画家たちとセーヌ河は切っても切り離せない関係であり、素材であり、生活の場でもありました。
GK