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「エミリー、パリへ行く」と「パンテオン」

「パンテオン」の話から始めます。

パリ5区、学生街カルチエ・ラタンにある パンテオン の歴史は6世紀に始まります。メロヴィング朝フランク王国の初代国王クロヴィスは自分と妻の墓所として聖堂を建設します。一方パリを蛮族の侵入から守ったことからパリの守護神と言われる聖ジュヌヴィエーヴが502年に亡くなり、同じ場所に葬られました。その後12世紀に修道院になり、ルイ15世によってサント・ジュヌヴィエーヴ教会へと変貌し、そして大聖堂として建立され1790年に完成します。

しかしフランス革命期に完成したため、国民議会は、まだ教会として聖別されていなかったこの建物に霊廟の機能を持たせ、国の偉人・著名人の遺体を収容することを決議しました。ここからパンテオンの名前が始まります。現在パンテオンに埋葬されている偉人には、マリ・キュリ(キュリー夫人)、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、アンドレ・マルロー、等々です。

パンテオンはフランス国家に寄与した偉人たちの霊廟として、どちらかと言えば地味な場所です。 しかしこの場所はカエサルのローマ帝国によりローマ人の支配下に入り、紀元前1世紀末、ルテティアと呼ばれた新しいローマ人集落の中心となったのです。言語は当然ローマ人のラテン語が話されました。それでラテン区(カルチエ・ラタン)と言われるようになったのです。

ここからは 「エミリー、パリへ行く」 のお話しです。

Netflixで評判を取ったドラマ「エミリー、パリへ行く」は、シカゴでマーケティングの仕事に励んでいたエミリーが、思いがけずパリでの念願の職を手に入れ、仕事に恋に友情に全力投球の夢のパリ生活を開始する、と言うお話しです。

ドラマの中では、パリ5区、エストラパード広場を中心に、エミリーの暮らしが描かれています。この場所が、パンテオンから徒歩1分の広場とその周辺で、エミリーのアパルトマン、パン屋さん、ガブリエルのレストラン、友人ミンディーとお茶したカフェが集まっています。

アメリカ映画(ドラマ)なので、アメリカ人から見たパリやフランスは、いささかステレオタイプだな、と思ったかもしれませんが、それでもパリのある時間と空間を切り取った、パリの雰囲気が十分出ていて、映像も美しく素敵なドラマだったと思います。
そしてどのシーンでもエミリーのファッションは必ず変わります。 見ていた皆さんはきっとうっとりしていたのではないでしょうか。

パンテオンやエストラパード広場はやや小高い丘の上にあり、ここからカルチエ・ラタンを歩くとゆるい下り坂になります。

西側に降りるとサン・ミシェル通り。そしてその道を渡ればリュクサンブール公園です。広場を少し南に歩けば学生たちのバリケードで有名なフランス五月革命の象徴的場所ゲ・リュサック通りへ。東に歩くと大学とその学部やリセや研究施設の建物が並びます。街角にはカフェやレストランが続き、更に降りて行くとムフタール街があります。フランス料理、レバノン料理、ギリシャ料理、ペルシャ料理のレストランや、食材店やマルシェがあり、パリの中でももっとも賑わう下町的な地域です。

パンテオンを訪れる、訪れない別として、エミリーがいた場所を中心にカルチエ・ラタンを是非歩いてみて下さい。

GK

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