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再掲載 2時間で回るルーブル美術館

ルーブル美術館をゆっくり見る時間の無い方にお勧めの回り方。入館順序は シュリー翼 → ドゥノン翼 → リシュリュー翼 の順番で巡ってください。

名称 作者 階(日本風) 展示室 No. 年代 説明
ルーブル美術館(火曜日休館) ガラスのピラミッドの地下 ”ナポレオンホール” から入る
1 エジプト タニスの大スフィンクス シュリー 1階 338 BC            2,600 エジプト国外で保存されているスフィンクス像のうち、大きいものの一つで、1825年に、第21-22王朝の首都であったタニスのアメン・ラー神殿の廃墟で発見された。この石造彫刻は、細部の彫りの正確さ、表面の磨き具合、威厳のある雰囲気など、見事な出来ばえを示している。スフィンクスは体を伸ばして伏臥(ふくが)し、爪を出し、今にも飛びかかってくる印象を与える。台座の上、スフィンクスの四本の足下には、カルトゥーシュ(王名を囲む長楕円形の枠)を連想させる「シェン」のヒエログリフが刻まれており、この彫像が王の記念物であることを証明している。
左の階段上る
2 書記座像 と 死者の書 シュリー 2階 635 BC        2,300 エジプトの彫像において、仕事中の書記が表されている彫像は稀である。このようなポーズは、王像に全く見かけられないものの、第4王朝のジェドエフラー(ディドゥフリ)王の息子達の彫像に見られるように、元来、王の息子や孫など王族が取るポーズであったのではないかと推測されている。
カバ(青い)の置物 シュリー 1階 333 BC          2,300
タニスの大スフィンクスまで戻る 右の階段上る
3 ミロのビーナス シュリー 1階 346 1820年、キクラデス諸島の南西の島、メロス島(現代ギリシア語でミロ)で発見された。リヴィエール侯爵はこの作品をルイ18世に献呈し、後者は翌年ルーヴル美術館にそれを寄贈した。
ダリュの階段
4 サモトラケのニケ シュリー 階段踊場 BC       190 勝利の女神ニケの彫像  最初の発見はサモトラケ島で1863年、胴体部分が見つけられた。それに続いて断片と化した片翼が見つかった。断片は全部で118片にのぼる
ニケを背にして左側に入って行くとドゥノン翼に入る
名称 作者 階(日本風) 展示室 年代 説明
六人の天使に囲まれた荘厳の聖母 チマブーエ ドゥノン 2階 708 1280頃 キリストと4人の天使、預言者や聖人が描かれた26個のメダイヨンで飾られている。この絵画はサンタ・トリニタ聖堂(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館所蔵)の《マエスタ》の遥か前の1280年頃に制作されたチマブーエの早期作品
バルバドーリ祭壇画 フィリッポ・リッピ ドゥノン 2階 708 1438頃 バルバドーリ家礼拝堂の祭壇画として手がけられた本作は、幼子イエスとイエスを抱く聖母マリアを中心に、複数の天使たちと聖フレディアーノ、聖アウグスティヌスを配した構図が用いられている
5 岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ビンチ ドゥノン 2階 1485頃 複雑な象徴的内容をもつ作品である《岩窟の聖母》は、マリア、キリスト、聖ヨハネという人物像を通して受肉の神秘を讃えている。この作品の中で初めて、柔らかな光に満たされた聖なる人物たちは、張り出す岩によって生命力を与えられた風景の中に配されている
6 モナ・リザ レオナルド・ダ・ビンチ ドゥノン 2階 711 1505頃 フィレンツェで1503-1506年の間に制作されたものと思われる。作品はフィレンツェの織物商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像であると考えられており、苗字の女性形ジョコンダが作品の「異名」の由来であり、それをフランス語化したものが「ジョコンド」である
7 聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ ラファエッロ・サンツィオ ドゥノン 2階 710 712 716 1507頃 聖母と幼子イエスが幼い洗礼者聖ヨハネに伴われてゆったりした風景の中に描かれており、前景は聖母の人間性の象徴であるスミレやキリストの受難の象徴であるオダマキの花を含む克明に描写された花々が散りばめられている。
部屋を出るとフランス絵画の大作の回廊
8 ナポレオンの戴冠式 ダビッド ドゥノン 2階 1807 1804年にノートルダム寺院で行われた戴冠式の一場面。ジョゼフィーヌに冠を授けている
9 オダリスク ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル ドゥノン 2階 702 ルネサンスにまで遡る長い伝統を持つ、神話世界の裸婦のテーマを夢のオリエントの世界に移し換えている。巨匠アングルの最も有名な裸体画を注文したのは、ナポレオン1世の妹で、ナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラだった。
10 7月28日-民衆を導く自由の女神 ウジェーヌ・ドラクロワ ドゥノン 2階 700 1831 フリジア帽を被り、髪の房がうなじに揺れ、生き生きとした、激昂して反逆的な、勝ち誇った人民の娘として具現化された「自由」の擬人像は第二王政復古の政府による憲法違反に反対した共和主義者が、1830年7月,パリで引き起こした人民の蜂起は、フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、オルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。ロマン主義的情熱をもって、絵画化している
皇帝の戴冠の壁の外にガラスのピラミッドがあるので、左突き当りの モリアンの階段を降りる
11 奴隷 ミケランジェロ ドゥノン 1階 403 1515 鎖に繋がれた2体の捕虜像が表わす感情は相反する。1体は非常に若く美しく、眠りに身を任せているように見える。多分永遠の眠りであろう。この像は《瀕死の奴隷》と名付けられた。もう1体は、より荒々しく、身を捩り震えた体で抵抗する。《抵抗する奴隷》と呼ばれている。この2体は、教皇ユリウス2世が夢見た自分自身の豪奢な霊廟の為にミケランジェロによって構想された。この霊廟は40年間の間数々の計画と共に移り変わった。
一旦ガラスのピラミッドのナポレオンホールに戻り、今度はリシュリュー翼から入り、メソポタミア美術に行く
名称 作者 階(日本風) 展示室 年代 説明
12 人面有翼牡牛像 リシュリュー BC700 アッシリア帝国のサルゴン2世(紀元前721~706年)は総面積300haを超す地域に、宮殿、神社、政庁などの大建築と高官たちの住宅が立ち並ぶ都城を築き、それらを護る城 壁は実に28mの厚さをもっていた。宮殿の通路の両側には、一対の有翼人面牡牛像(高さ4.2m)が置かれていた
その左に
13 ハンムラビ法典 リシュリュー 1階 227 BC        1792 ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴である。紀元前18世紀にバビロンの王によって建てられた玄武岩製の背の高い碑は、聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の歴史的著作と法令集である。紀元前12世紀にイランにあった近隣の国エラムの王によって運び去られた記念碑は、スーサのアクロポリスで他の名高いメソポタミアの代表作に囲まれて陳列されていた。
太陽神シャマシュ リシュリュー
ハムラビ王 リシュリュー
エスカレーターで上へ 3階へ フランドル絵画 オランダ絵画 へ
14 宰相ロランの聖母 ヤン・ファン・エイク リシュリュー 3階 819 1435 聖母子の前に跪く宰相を描いている。王子のような毛皮と金のブロケードを身に纏った寄進者のこれ見よがしの様相は、宮廷の高い身分に位置する人物として受け取られたいという宰相の強い意向を伝えている。地上の人物が彫刻の施されたビロードの布に覆われた祈祷台の上で祈りの姿勢を取り、もう一方には聖人たちが配されている。聖母は大理石の玉座に座り、宝石が散りばめられた刺繍の付いた豪華なマントを纏っている。
15 レースを編む女 ヤン・フェルメール リシュリュー 3階 1670 デルフトの小ブルジョワ階級に属すると思われる一人の若いレースを編む女が、身をかがめて、作業台の上で糸巻き、留めピン、糸を熱心に操っている。オランダ文学や絵画の中で(とりわけカスパル・ネッチェルによって)幾度も扱われてきたレースを編む女の主題は、伝統的に、家事をする女性の美徳を描くものであった。前景に見受けられる小さな本は、確かに聖書であり、絵画の持つ道徳的かつ宗教的解釈を強調している
2時間で巡るルーブル美術館 Edité par Georges KONDO    2019/1/08

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