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名称 |
作者 |
翼 |
階(日本風) |
展示室 |
年代 |
説明 |
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六人の天使に囲まれた荘厳の聖母 |
チマブーエ |
ドゥノン |
2階 |
708 |
1280頃 |
キリストと4人の天使、預言者や聖人が描かれた26個のメダイヨンで飾られている。この絵画はサンタ・トリニタ聖堂(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館所蔵)の《マエスタ》の遥か前の1280年頃に制作されたチマブーエの早期作品 |
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バルバドーリ祭壇画 |
フィリッポ・リッピ |
ドゥノン |
2階 |
708 |
1438頃 |
バルバドーリ家礼拝堂の祭壇画として手がけられた本作は、幼子イエスとイエスを抱く聖母マリアを中心に、複数の天使たちと聖フレディアーノ、聖アウグスティヌスを配した構図が用いられている |
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5 |
岩窟の聖母 |
レオナルド・ダ・ビンチ |
ドゥノン |
2階 |
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1485頃 |
複雑な象徴的内容をもつ作品である《岩窟の聖母》は、マリア、キリスト、聖ヨハネという人物像を通して受肉の神秘を讃えている。この作品の中で初めて、柔らかな光に満たされた聖なる人物たちは、張り出す岩によって生命力を与えられた風景の中に配されている |
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6 |
モナ・リザ |
レオナルド・ダ・ビンチ |
ドゥノン |
2階 |
711 |
1505頃 |
フィレンツェで1503-1506年の間に制作されたものと思われる。作品はフィレンツェの織物商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像であると考えられており、苗字の女性形ジョコンダが作品の「異名」の由来であり、それをフランス語化したものが「ジョコンド」である |
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7 |
聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ |
ラファエッロ・サンツィオ |
ドゥノン |
2階 |
710 712 716 |
1507頃 |
聖母と幼子イエスが幼い洗礼者聖ヨハネに伴われてゆったりした風景の中に描かれており、前景は聖母の人間性の象徴であるスミレやキリストの受難の象徴であるオダマキの花を含む克明に描写された花々が散りばめられている。 |
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部屋を出るとフランス絵画の大作の回廊 |
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8 |
ナポレオンの戴冠式 |
ダビッド |
ドゥノン |
2階 |
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1807 |
1804年にノートルダム寺院で行われた戴冠式の一場面。ジョゼフィーヌに冠を授けている |
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9 |
オダリスク |
ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル |
ドゥノン |
2階 |
702 |
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ルネサンスにまで遡る長い伝統を持つ、神話世界の裸婦のテーマを夢のオリエントの世界に移し換えている。巨匠アングルの最も有名な裸体画を注文したのは、ナポレオン1世の妹で、ナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラだった。 |
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10 |
7月28日-民衆を導く自由の女神 |
ウジェーヌ・ドラクロワ |
ドゥノン |
2階 |
700 |
1831 |
フリジア帽を被り、髪の房がうなじに揺れ、生き生きとした、激昂して反逆的な、勝ち誇った人民の娘として具現化された「自由」の擬人像は第二王政復古の政府による憲法違反に反対した共和主義者が、1830年7月,パリで引き起こした人民の蜂起は、フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、オルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。ロマン主義的情熱をもって、絵画化している |
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皇帝の戴冠の壁の外にガラスのピラミッドがあるので、左突き当りの モリアンの階段を降りる |
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11 |
奴隷 |
ミケランジェロ |
ドゥノン |
1階 |
403 |
1515 |
鎖に繋がれた2体の捕虜像が表わす感情は相反する。1体は非常に若く美しく、眠りに身を任せているように見える。多分永遠の眠りであろう。この像は《瀕死の奴隷》と名付けられた。もう1体は、より荒々しく、身を捩り震えた体で抵抗する。《抵抗する奴隷》と呼ばれている。この2体は、教皇ユリウス2世が夢見た自分自身の豪奢な霊廟の為にミケランジェロによって構想された。この霊廟は40年間の間数々の計画と共に移り変わった。 |